【宇都宮視察】法学部生が農家コンサルタントになろうとする話 – 59

昨日、宇都宮の視察が終わって仙台に帰ってきました。
時間が時間だったので更新は今日になりました。

本日の作業用BGM

少し前に放送されていた人気ドラマ「LIAR GAME」のテーマソングです。

この曲を知っているだけで、このドラマの内容は分からないので割愛しますー。

まずは宇都宮へ移動!

拓也さんとの待ち合わせ場所は宇都宮駅。

埼玉からだと少し遠いので、移動時間を短くするため大宮から新幹線で移動。

各駅に停車する「やまびこ」で30分くらいでしょうか?
無事に宇都宮駅に到着!

そこから地元のバスで宇都宮大学へ移動しました。

そして到着したのはここ!

拓也さんが研究員として5年ほど前まで在籍されていた場所。
農学部の中でも「雑草学」という分野に特化した研究施設と言えばいいのでしょうか?

そこで拓也さんに紹介していただいたのは宇都宮大学教授の小笠原勝先生。

お昼過ぎから色々とお話をする中で、時間を忘れて気づいた頃にはもう夕方。
結局2, 3時間くらい話し込んでいましたね。笑

専門的な話をしながらも、特に話し込んでしまったのは「本質を見極める力」。

インターネットが普及した世の中なので、(少し語弊を含んでしまう言い方になりますが)「知識量で人を測る」のでは、その基準として単なる知識量ではあまり意味がないように思えます。要するに、ネットに広がっている知識を得られれば(そういう意味で、ネット検索する”知識”を持っていれば)その知識量は無限大と捉えることができます。この点、小笠原先生が仰っていた言い方であれば、ここでいう知識は確か「教育」という言い方がされます。学校教育で得られるものですね。

一方で、どれだけ知識量があってもあまり身に付かないのは「教養」。
身近な例で言えば「話の引き出し」に当たるのでしょうか?
様々なところで得た「教育(知識)」という”点”同士をつなげる、線のような役割を果たしているとイメージしています。
単に教育を話しているだけならば話はつまらない。単純に知識を見せびらかすだけなんですね。

「教育」はあるのかも知れませんが「教養」はありません。話が一方通行になってしまうと思います。。

日頃の活動で、拓也さんと話をする中でも「“教養”と”一方通行”」という話題が上がっていたような気がします。

機械的な生活をするならば教養はいらない(教育も必要ないかもしれません)でしょう。
しかし「人間は社会的(ポリス的)動物」というアリストテレスの主張を前提とするならば(個人的には一番納得できる人間の説明で、都合の良い主張だったので引っ張ってきました・笑)、教育はさておき、教養は必要不可欠でしょう。

何を言いたいのか分からなくなってきましたが、まとまったらまた別の記事でも書いてみます〜。

今日はこの辺りで

色々と難しいことを考えていたら、ブログを書き続けるだけの集中力がなくなってきたので、この辺りで終わりですー。
たまには息抜きと言いつつ、いつまでも休み続けてしまわないか怖くなります。笑

ではでは。

ありがとうございました!

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