山元町との出会い – 1

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山元町との出会い – 1

今日は一日中お家に籠もって作業していたので、本日は「法学部生が農家コンサルタントになろうとする話」はお休みにします。

その代わり「なぜ山元町に関わるようになったのか」「ここに至るまでのストーリー」について、自分の過去を振り返るということも兼ねて取り上げてみます。今に至るまでの話を始めると非常に長くなりそうな気がするので、今回の記事では「大学入学までのこと」というところに焦点を当てて書きます。

いまの自分について

まず簡単に自己紹介します!

埼玉県所沢市出身、東北大学法学部4年在学中の町田哲哉(まちだ・てつや)です。
所属団体、いわゆるサークルや部活動には、東北大学学友会柔道部、東北大学地域復興プロジェクト”HARU”、仙台模擬国連(3年生以上は基本的に活動に参加しないので籍だけ存在する状態、といった感じ)などに所属しています。

柔道部のホームページや河北新報さんの取材などで自己紹介的なことが取り上げられています。気になる方は、以下のページからどうぞ!笑

・柔道部:http://tohokudai-judo.sakura.ne.jp/member/tetsuya-machida/
・河北新報:https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202004/20200403_11034.html

東日本大震災と進路決定

河北新報さんの記事を読んでいただけると分かるかと思いますが、東日本大震災が発生した2011年3月11日当時、僕は小学6年生でした。

遠く離れた宮城県で発生した地震は、埼玉県においても、今までに経験したことがない大きな揺れをもたらしました。

「同じくらいの年の子が亡くなっている」と直感的に思った当時の自分でしたが、だからと言って何かができる訳でもなく…。結局、ボランティア活動に踏み出せないまま、高校生まで埼玉県で過ごしていました。

そして、いつの間にか高校3年生に。大学受験を控える自分は、進路を考える時期でした。
高校2年生までは学年中、下から10〜20%程の成績だったため、旧帝大の法学部なんて考えられない落ちぶれた生徒。

ただ、高校時代の部活動の繋がりで東北大学柔道部に縁があった自分は、一つの進路として東北大学を考えました。詳しいことはまた別の機会で記事にしたいと思いますが、最終的に東北大学を選んだ理由としては次のことが挙げられます(上から優先順位が高いもの)。

①一人暮らしができること(親元を離れて自立してみたかった)
②当時の自分が目指せる学力レベル(過去問を見る限り、旧帝大の中では入試レベルが優しいと思った)
③柔道部の縁(いくつか上の代で東北大学柔道部に入部した先輩がいました)
④東日本大震災の経験(ボランティアをしてみたい)

僕は聖人でも何でもないので、非常に利己的な理由から東北大学を選びました。

ここで次のようなことを思う方もいらっしゃるかと思います。

「なぜ東日本大震災の経験、ボランティアをしてみたいという理由が一番後ろなのか?」

ずばり答えると「偽善者だと思われたくなかったから」です。

もちろん、震災は自分の人生経験で最もインパクトがあるものであり、連日のニュースを見ていても辛いものでした…。毎日のように増えていく行方不明者、死亡者など…。しかし、それ以上に、「偽善者だ」と思われることを避けようとしていた自分の気持ちがありました。

ここまでしてみても、とことん利己的です…。笑

大学受験と入学

こうして、非常に自己本位(ボランティアしない人のことを批判している訳ではありません)な理由だからこそ、受験勉強に身が入ったのでしょうか。

1日のスケジュールを見直し、朝は4時に起床して勉強…。夏休みにおいては10時間、多い時は15時間机に向かっていました。お昼ご飯を食べる時はリスニングを2倍速で聞きながら、常に英単語帳は所持してボロボロになるまで読み漁るなど…。狂ったように勉強していました。

そのおかげか、無事に東北大学法学部に現役で合格。

そして夢にまで見た東北大学でのキラキラとしたキャンパスライフ(笑)を思い描き、部活動やサークル選びの時期になりました。

結局、最初に選んだのは「柔道部」

何度も出てきましたが、当時の自分は「偽善者と思われる」ということを避けようとしていました。

だからこそ、入学してから最初に選んだ学生団体はボランティア団体ではなく「東北大学学友会柔道部」。本当に「偽善者」と思われることを恐れていたのだと思います。

もし、当時の自分が偽善者と思われることを厭わないのであれば、大学入学時にはボランティア団体に入っていたことでしょう。そもそも東北大学を選んでいなかったのかもしれません…。2016年に発生した熊本地震などのことから、今頃九州にいたのかもしれない。そうであれば、山元町にも関わっていなかったと思います。

もちろん、その時の選択は後悔していません。また、もしその時に柔道部を選んでいなかったら、東北大学地域復興プロジェクト”HARU”に所属することも、山元町に関わることもあり得なかったと思います。

その後のこと

最初に言った通り、この記事では「大学入学までのこと」に焦点を当てて書いていたので、その後のことはまた別の機会に書きます。もし気になる方がいらっしゃれば、是非ご連絡ください。笑

ありがとうございました!

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