山元町との出会い – 2

前回の記事は、こちらから!

この記事では、柔道部に入った後に「なぜボランティア団体にも所属するようになったのか」について書いていきます。

大学の柔道部ではマネージャーになった

僕は、大学の柔道部では男子マネージャーとして入部しました。このことについては、すでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、改めて経緯についても説明します。

前回の記事では深く言及していなかったのですが、そもそも、高校時代は柔道部(軽音楽部との兼部だったのですが、これはまた別の機会で)に所属していた僕。もちろん当時はマネージャーではなく選手として活動に取り組んでいました。

高校の柔道部では腰痛に悩まされ…

しかし、高校二年生の時、トレーニング中の姿勢を誤っていたのか、腰に強い痛みを感じるようになりました。顧問の先生に相談しながら、接骨院に行ったり、カイロプラティックにお願いしてみたり…。

結局、整形外科で「ヘルニアの前兆です」と言われました。

ただ、判明した時期が引退間近だったため、鎮痛剤で痛みを紛らわせながら部活動を継続することに。

最後の方で得意技となってしまった「巴投」も相まって、悪化する一方でしたが。笑
なんとか、選手として引退を迎えました。

「腰の調子」と「人のご縁」を天秤にかけて…

大学受験をしていく中で、ヘルニアは少し改善されましたが、たまに痺れてしまうことも…。そのため、入学当初は部活動に入るとしても文化部に入ろうとしていました。

ただ、そもそも東北大学を受験したきっかけは「柔道部」。同じ高校出身の大学の先輩方は、ほぼ全員が柔道部を選んでいることから何か縁を感じたのでしょう。いつの間にか、柔道部へ入部することになっていました。

ただ、腰痛を悪化させたくないことも踏まえて、男子マネージャーとして入部するのでした。

マネージャーの仕事が嫌になる

元々は選手として活動していた僕。上手下手はさておき、寝技が特に好きでした。

そして、東北大学をはじめとした「七帝柔道部(旧帝国大学柔道部)」というのは、現在オリンピック競技にもなっている、いわゆる一般的な「柔道」とは流派が異なる「七帝柔道(高専柔道)」と呼ばれるものを専門にしています。

細かいルールや違いを説明すると長くなるのですが、「七帝柔道は寝技に特化した柔道」なのです。

だからこそ、気持ち的には「やりたい」と思うことも…。
実際には、腰の調子がいい時に練習に混ざることもあったのですが。笑

しかし、選手のように寝技が沢山できる訳ではなく…。

それに加えて、マネージャーの仕事をしていてが一番辛いと感じたのが「試合の勝敗に直接何かできる訳ではない」ということ。たとえチームとして優勝できたとしても、マネージャーの仕事がどれだけ優勝に貢献できたのか、全く分かりません。試合においては選手の「心技体」がものをいうと考えていたからです。

そのため、選手の練習に対する熱意についていけなかったり、試合を他人事のように考えてしまったり…。ついには、「勝負に直接関わることができない自分は、この柔道部に必要ないのでは…?」と思い始めるように。

ターニングポイント

やる気が全くみなぎらないまま、春の遠征合宿にいくことになりました。完全に惰性です。
遠征中にも関わらず、「時期的にちょうど区切りでもあるから、この遠征が終わったら部活を辞めようか」と悩んでいました。

するとその時、法学部全体のライングループに連絡が…。

「東北大学地域復興プロジェクト”HARU”に入りませんか?」

ここが大学生活、もはや人生最大のターニングポイントでした。

完全に病んでいた僕は、先輩にも相談することなくすぐに連絡を入れました。それほど追い込まれていたのでしょう。
そこからトントン拍子で話が進み、最初の連絡から一週間くらいでしょうか。”HARU”のメンバーとなりましたすぐに入会しました。

柔道部と”HARU”の兼部へ…

“HARU”へ入ったは良いものの、柔道部を辞めるかどうかを判断しなければなりませんでした。

当時、気持ち的には完全に”HARU”に傾いていましたが、こうして入会するに至ったのは、皮肉に聞こえますが「柔道部のおかげ」。
つまり、マネージャーの仕事が嫌になって病んでいたからこそ、入会という意思を固めることが出来たのだと考えました。

だからこそ、柔道部に感謝をしなければ、自分が許せないと思うように…。

結局、感謝の気持ちを込めて柔道部を続けながら、”HARU”のメンバーとしてボランティア活動にも取り組むことにしました。

ここから「柔道部」×「ボランティア」という破茶滅茶な大学生活が新たにスタートしました。

今日はここまで

今日のことが「山元町との出会い」を語る上で、無くてはならない話でした。

本当に皮肉ではあるのですが、柔道部には感謝してもしきれません。だからこそ、ここまでやってきたのだと思います。

次の記事では、「山元町と出会ったことで、将来の夢が180°変わった」ということについて話をしてみようかと思います。笑

ありがとうございました!

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